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ナノエアにまつわる話

新谷 暁生  /  2018年1月9日  /  読み終えるまで10分  /  デザイン, コミュニティ

焚き火の匂いが染みついたナノエア

この原稿を新年早々クリーネストラインに出して良いものだろうか。謹賀新年。

私は長く知床でシーカヤックガイドをしている。最近は太平洋高気圧が弱く、低気圧が次々と知床半島近くを通る。気圧配置はまるで冬のようだ。そのせいかオホーツク海はいつも騒がしい。雨も多い。時にビー玉のような雨がふる。変わったのは海だけではない。カラフトマスの回遊が減り、イカもサンマも来なくなった。どこに行ってしまったのだろうか。

根室海峡にシャチが増えたという。岸近くを漕ぐ私たちがシャチを見ることはないが、何年か前にはサンマの群れを追って、モイレウシの入り江にシャチが押し寄せたと聞いた。このあたりでは以前にも、シャチの群れが流氷に閉じ込められて死んだ。私はペキンノ鼻というところで無数のイルカの群れを見たことがある。壮大な光景だった。最近、知床羅臼ではホェールウォッチングが注目を集めている。イルカやシャチ、クジラが見られるのは素晴らしいことだ。しかしその一方で何かが起こりはじめている気がする。この海を漕ぐと色々考える。カヤックとはそういう乗り物なのだろう。

サケやマスは北の魚だ。しかし最近はブリやフグ、マンボウなど南の魚が網に入る。漁師はその食べ方や売り方を知らないので扱いに困っている。あたりまえだがブリは川に遡らない。そのためサケマスを食べて冬眠に備えるクマたちも途方に暮れている。保護によってこの20年で数が増えたヒグマだが、増え過ぎれば弱い個体は餓死する。また人里に出る個体も最後は駆除される。

ヒグマは人との長い関わりの中でその数が適正に保たれてきた。人間による間引が野生を健全に保っていたと言える。しかし過剰な保護がその均衡を破った。結局それがヒグマにも不幸をもたらしている。だが生きている以上彼らも必死だ。生き残るために食べられそうなものは何でも試す。まずシカを襲うようになった。エゾシカもヒグマ同様に数が増え、植生を破壊している。以前はクマとシカが仲良く海に尻を向けて、フキやウド、イラクサや海岸に生える高山植物を食べていた。しかしいまはクマを見るとシカが逃げ出す。ヒグマはカモメのコロニーにも目をつけた。タマゴとヒナが目的だ。それでカモメが減り、代わりにウミウが増えた。ウの巣はクマが近づけない崖にあるからだ。今年はウのタマゴを狙って崖の途中で動けなくなり、途方に暮れている大きなヒグマを見た。

もともと泳ぎの達者なクマは潜って魚を獲る。昨年アリューシャンで見た巨大なグリズリーも海で魚を獲っていた。知床のヒグマは10年ほど前から沖の定置網で魚を獲ることを覚えた。しかし魚が来ない。最近は母親からそれを学んだ若いクマが、沖の網のあたりを見つめているのをよく目にする。彼らは生きようと必死だ。ヒグマは環境への適応能力が高い。用心深いヒグマは長生きし、弱い個体は淘汰される。人は自然の摂理に背いてはならない。ヒグマが人間を襲う日が来ないことを願っている。

9月に危険な台風が知床を通った。ウトロを出る時に台風はまだ九州にいた。それで途中でやり過ごすことにして、15キロ先のイダシュベの浜を目指した。ここには海岸の台地に竪穴住居跡がある。縄文期から擦文文化期をへてアイヌ期へとつづく、オホーツクの狩猟民が暮らしたところだろう。本当のところはわからない。たしかに険しい知床で、ここだけは崖崩れと鉄砲水から守られている。私たちはそこで台風に備えることにした。

30メートルの嵐は知床ではよくある。しかし秒速50メートルは私にとってもはじめてだ。雨も1時間100ミリ以上だ。コップがすぐにいっぱいになる。ここまで風が強いと、海は水煙に覆われて何も見えない。というより立っていられず、目も開けられない。浜では小石が飛んでいる。私たちは岩陰のイタドリの藪に潜んで耐えた。近くの小沢はまるでジェット機の離陸時のような轟音を発しながら、流れというよりも巨大な茶褐色の生き物のように海に突進している。良く見ると巨岩が流れ、石が飛び跳ねている。恐ろしい光景だ。だが美しかった。この台風でウトロと斜里間の50か所以上が、倒木や鉄砲水で通行止めになったという。そんな中で私は焚火で米を炊いた。

ナノエアにまつわる話
ナノエアにまつわる話

9月の台風で屋根が飛んだカシュニの番屋と健在だったころ

天候悪化はわかっていたので、出発前に全員の衣類を調べた。ほとんど使えない。それでセーターや防寒着、漁師合羽をみんなに貸した。なにを着てもずぶ濡れになるだろうが、直接肌にウールを着れば体温は守られる。完全防水の漁師ガッパは雨と外気を遮断する。しかし化繊雨具は、たとえゴアテックスであっても、下に水温を遮るものを着なければ、肌に張り付いて体温を奪う。知床で雨具に求められるのは防水性ではない。防寒性なのだ。いずれにしても私たちは嵐に耐えた。

ナノエアにまつわる話

知床ではたいてい、漁師合羽にナノエア

1980年代にイヴォン・シュイナードに誘われてベンチュラのパタゴニア本社に居候した私は、いまもパタゴニアに恩義を感じている。あの時代、私はボブ・ジャレットのウッドショップで大工をさせてもらった。古き良き時代の思い出だ。だからいまもパタゴニアを使う。しかし私が着るとせっかくの美しいウエアもすぐに汚れる。穴が開くというより焚火で燃やすことすらある。大事に使っているつもりなのだが。

私はマイクロ・パフやウールのアンダー、ダウンセーターで、アリューシャンやパタゴニアの海を漕いだ。ヒマラヤではシェルド・シンチラを使った。冬の仕事ではいまもDASパーカを愛用している。最近は新作のナノエアを使う。昨年のアリューシャン遠征ではこれが唯一の防寒着だった。アウターはドライスーツと漁師合羽だ。長期の旅では持ち物が限られる。1キロの衣類より1キロの食糧なのだ。しかし私のドライスーツは古いので水漏れする。

ナノエアの良さは着やすさだ。柔らかい。また空気層が体温を保つので、薄いウールと併用すれば濡れても冷たさを感じない。そしてそのまま寝袋に入れば、朝までにほとんど乾く。ナノエアやナノパフは久々のパタゴニアのヒットだ。使える。道具は使いようだ。大昔に冬の日高や大雪を登っていたころは、雪洞やイグルーの中で、石のように凍った寝袋に潜り込んで寝た。羽毛は体温が伝わると氷が解けて膨らみはじめる。そしてもうもうと湯気が出る。そのため雪洞の中は1メートル先も見えなくなる。そうなってはじめて眠れる。こんな生活をすればたいていのことは気にならなくなる。そして何が大事かを知る。木綿はだめだ。アラスカにはCotton kills people ということわざがある。

今年はナノエアライトを使った。オシャレだ。しかし胸のポケットが深すぎて、手が悪い私には不便だ。パンツにいたっては尻のフアスナー横の縫い代が足らず、摩擦ですぐに破れる。ポケットもない。私はアルパインクライマーではないのでお尻のチャックは要らない。しかしポケットはほしい。

私はカヤッカーだ。だがドライスーツ以外、カヤック用のものはほとんど使わない。水温が10度以下ならドライを着る。6月以降は少し水温が上がるので、漁師ガッパで間に合わせる。ズボンをひざ上までたくし上げれば、転ばないかぎり水が入らず、尻が濡れない。上陸時には合羽の上を着る。濡れても風が吹いても暖かい。寒い海に漁師ガッパは欠かせない道具だ。

ナノエアにまつわる話

北風でうねる10月の知床羅臼側を漕ぐ

知床の海は時に過酷だ。私は衣類を環境に合わせて選んできた。余計なものはいらない。しかし選択は慎重でなければならない。レスキュー道具や薬、修理具にいたるまで、それは同じだ。必要な時にそれがなければ致命的事態を招く。

知床では漕ぎ出せば道もなく村もない。海が道だ。知床のカヤックはアリューシャンやパタゴニアを漕ぐのと何ら変わらない。寝るのはゴロタ石の浜だ。飯は焚火で作る。クマも普通に出てくる。今年の10月には3方を崖で囲まれたキャンプ地に、暗くなってからクマが降りてきた。奴も驚いたろうが私も驚いた。しかし山に帰れと怒鳴って追い返した。ヒグマは臆病な動物だ。だが猛獣であることを忘れてはならない。実際のところ私はクマより海のほうがはるかに怖い。

ナノエアにまつわる話

知床のカヤック、漁師合

シーカヤックは自分でルールを決めて行うスポーツだ。だから最小限の道具で行動するほうが、よりスポーツ的だ。私はレギュレーションで決められている国を除き、GPSを使わず、衛星携帯も無線も持たない。道具で安全は買えない。不安や不確実性もこのスポーツの大切な要素なのだ。

私の夢はいつの日かヤーミーがデザインしたカクタス柄のパタロハを着て、南の海の浪間に漂うことだ。ヤーミー・内田昌美は1980年代の優れたパタゴニアのデザイナーだ。しかし一昨年亡くなった。ヤーミーは意地悪だが本当に良い奴だった。ボブ・ジャレットやヤーミーは私の数少ないベンチュラのタバコ仲間だった。

ナノエアにまつわる話

いじわるヤーミーは優れたアーティストだった

同じころに谷口けいも旅立った。大勢が彼女の死に驚き、悲嘆に暮れた。一緒に漕いだ知床が懐かしい。雨の中でけいちゃんが座る焚火のそばを、大きなヒグマが尻をゆすりながら通り過ぎて行った。登山家、谷口けいの漕ぎは力強かった。日本はかけがえのない宝を失った。

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知床での谷口けい

8月にはパタゴニア白馬店の池端峻一が不慮の事故で亡くなった。池端は知床に来たことがきっかけで新たな人生を歩みはじめた。その矢先の事故だった。私たちは池端が育て、収穫できなかった米を知床の海に撒き、彼を偲んだ。

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追悼池端峻一

これからも大勢がパタゴニアを着て冒険に出かけることだろう。冒険の世界は無限だ。それは果てしなく拡がっている。人生は短い。時間を無駄にしてはならない。旅が良い旅となることを祈っている。

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