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チャルテン2015~2016年

コリン・ヘイリー  /  2016年7月21日  /  読み終えるまで16分  /  クライミング

2度目の単独登攀となるチャルテン山頂にて。1度目の登攀に比べるとかなりリラックスできた。Photo: Colin Haley

昨年のパタゴニアの登攀シーズンでは、おもにマーク=アンドレ・ルクレアとアレックス・オノルドと登り、僕にとって最高のシーズンだった。トラヴェシア・デル・オソ・ブダの初登、エル・アルカ・デ・ロス・ヴィエントスの再登かつダイレクトのバリエーション、トーレ・トラバースのほぼワンデイを含む数々の登攀をした。僕の人生のなかで最も成功したクライミング遠征で、これ以上の登攀シーズンはないだろうとマジで思った。

その1年後、自分でも驚きなのだが、今季こそが自己最高のシーズンだと言える。もちろんそれは概して3つの大きな要因(好天、良好なコンディション、優れたパートナー)の結果ではあるが、今年はこれまでに比べてより精神的な強さを感じたとも言える。理由はともあれ、今シーズンは何かピンとくるものがあり、これまでよりずっと自信を感じたと思う。

12月31日、カリフォルニア・ルートの単独登攀

カリフォルニア・ルートの最難ピッチはスーパーカナレタと合流する前の最終ピッチで、それはまた幸いなことにロッククライミング用のシューズをはける唯一のドライなピッチでもある。登攀の全体を通して2本の短い懸垂/テンションを使ったトラバースと、多くのパートでデイジーチェーンを利用した以外は、セルフビレイを取らなかった。これは最も困難なムーブのすべてが良いクラックのある場所だからこそできたことだ。

カリフォルニア・ルートの単独登攀で最後に感じたのは、登攀全体および下降がいかにリラックスし、平静でコントロールされたものだったかということだ。チャルテンは2009年にスーパーカナレタ経由でソロしていた(今回でディーン・ポッターに加わりチャルテンを2度ソロした2人目となった)。スーパーカナレタをソロしたその日は、おそらく最も肉体的かつ精神的に消耗する日だったと、いまも思う。だからそこに戻って劇的に違う経験をしたのは楽しかった。

チャルテン2015~2016年

カリフォルニア・ルートの核心ピッチ。幸いなことに乾いていたのでロッククライミング用のシューズを履けた。Photo: Colin Haley

1月6日、スーパーカナレタを車から車まで

カリフォルニア・ルートのソロの数日後、次の好天の合間のわずか2日前、友人のアンディ・ワイアットが一緒に登ろうとシアトルからやって来た。アンディは僕のパタゴニアのクライミングパートナーに比べてアルパインクライミングの経験がはるかに浅いものの、良い友だちであり山では楽しい仲間だ。また全般的なフィットネスにおいてはかなりのレベルの彼は、フィットネスがカギとなる目標をやろうと示唆した。それは数年前にロロが言及した目標で、町からチャルテンを1日で往復するというものだ。チャルテンではオリジナルのフランス・ルートとそのバリエーションが一般的には最も早いルートだと思うが、雪を考慮してスーパーカナレタを選んだ。

山頂にはシュルントを超えた7時間半後の午前11:14に到着した。これは僕にとってチャルテンの第10登目で、アンディははじめて。アンディはもちろん興奮し、景色をたっぷり楽しんでいたが、僕らの目標が速攻の登攀であることを思い出させ、まもなく山頂に別れを告げた。

下山は素早いとは言えないながらもスムーズで、間もなく僕らはラグナ・デ・ロス・トレスの西側の端でソックスを絞り、ブーツを乾かしていた。40分というのんびりした休憩ののち、ブーツをランニングシューズに履き替え、道路までハイクしはじめた。アイスツールとロープをパックの外側に付け、上半身裸で下着のみを着て走っていたため、トレイルにいた旅行者からは多くの驚きのまなざしを受けた。オステリア・エル・ピラーの道路には出発から21時間8分経過した午後7時23分に到着した。

チャルテン2015~2016年

チャルテンの山頂にはじめて立ち、気分最高のアンディ。Photo: Colin Haley

1月8日、セロ・ソロのエル・ドラゴン登攀

セロ・ソロの北稜には何年も僕が目をつけていたラインがあり、数度ほど試みていた。かなり中度のおそらく5.6くらいのルートだとずっと想像していた。ついに完璧な天候下でロックシューズを履いて登攀できたのはとても嬉しかった。予期に反してルートはずっと困難だった。

パフパフ・コル(弟ブースが発案したオツな名前は、いつか未登のコルにこの名前を付けると僕が約束したもの)からセロ・ソロの山頂までは350メートルの標高を稼ぎ、難易度は5.8Rだが、このグレードはルートの難しさと厳しさを表現しきれていない。それは一部には(しっかりした花崗岩に比べて)岩がもろいこと、僕がセロ・ソロをオンサイトで一切ロープを使わずに登攀したこともあるだろう。しかしとにかく、これは僕がやった最も大胆なフリーソロのように感じた。

チャルテン2015~2016年

エル・ドラゴンの真ん中付近で東を臨む。Photo: Colin Haley

1月10日、セロ・フエムル

セロ・ソロのあと、わずか1日の休息を取ったあとの1月10日、アンディとともにまた大きなワンデイ登攀に出た。アンディはあまりテクニカルな登攀をする気分ではなかったので、技術的にはそれほどではないが大きな冒険となるだろうとわかっていたセロ・フエムルへと向かった。それはチャルテン山塊の南端にある幾分孤立した巨大な山で、僕が何年も登りたいと思っていた目標だ。出発の前夜、ロロ・ガリボッティが真の山頂はおそらく未登であることを教えてくれた。興奮するぜ!セロ・フエムルは良いトレイルの長いアプローチを要する山で、僕の興味をそそっていた。トレイルランニングで僕をプッシュしてくれるアンディとやるには恰好の目標だ。

多大な努力を費やし、簡単なガレ場を登高したあとセロ・フエムルのノースサミットに到着した僕らはすぐに、真の山頂がもしかしたら未登であるかもしれないというロロの内ネタを理解した。ノースサミットよりもわずか10メートル高い真の山頂は険しいジャンダルムで、露出感のある脆い岩からなる尾根を200メートルほど縦走しなければならない。ロックシューズもクライミングギアもなく、アンディは真の山頂への縦走に興味が湧かず、僕も当初は同じ気分だった。しかし数分研究したあと、とりあえず試みてみることに決めた。山頂へのトラバースはランニングシューズではたしかにきわどく、僕は脆い岩を時間をかけて進んだが、幸いなことにノースサミットから見たときに思ったよりは容易だった。

チャルテン2015~2016年

リオ・トロ・バレーへ向かって走る。Photo: Andy Wyatt

チャルテン2015~2016年

セロ・フエムルの真の山頂へトラバースするコリン。Photo: Andy Wyatt

1月19日、トーレ・エガーとプンタ・ヘロンの単独登攀

過去5年間トーレ・エガーをどうやって単独登攀するか構想を練ったり、空想にふけったりして多くの時間を過ごしてきた。そして結局ノーマル・ルートに落ち着いた。まずプンタ・ヘロンをスピゴロ・ディ・ビンビ経由で登り、トーレ・エガーの北側をフーバー/シュナーフで登る。トーレ・エガーは技術的に困難で、最初からかなりの部分でロープソロを強いられると理解していた。というわけで僕は2011年、スコーミッシュでロープソロの技術を磨くために北半球の夏期の多くの時間を過ごした。

2本のロープをバックパックに入れたままスタンダルトの東壁のランプ・システムを超え、最初の懸垂のアンカーにバックパックをクリップしているうちに、突然自分のやっていることの深刻さにはっとした。パックを落とすといった簡単なミスがほぼ確実に死に至る。素早くそして簡単にトボガンの最終ピッチを(アグハ・スタンダルトとプンタ・ヘロンのあいだにある)コル・デイ・ソグニのコルまで登ると、ふたたびロックシューズに履き替え、ロープソロを開始するためにラックを整理した。おそらく午前8時ごろだった。

トーレ・エガーの山頂にはノルエゴスを出発した16時間半後の午後5時18分に到達。僕はずぶ濡れになり、疲れ、空腹だったが、この目標のために計画を練った何年ものあいだ、これほど素早く簡単に成功するとは想像だにしていなかった。自分のパフォーマンスには大満足だったが、もちろん長居はしなかった。トーレ・エガーはチャルテン山塊で最も登攀が困難な山というだけではなく、その下降もまた困難なのだ。

コル・デ・ラ・メンティーラ(トーレ・エガーとセロ・トーレのあいだのコルに僕がつけた名前)まで降りる最後から2本目の懸垂下降でロープがひっかかった。それは不運にもこれまでで最悪のもので、完璧に垂直の60メートルの懸垂のあと細い懸垂用ロープを2メートル引っ張ると、動かなくなった。しばらくのあいだ、セロ・トーレの東壁下部を20メートルしかない5.5ミリのロープで下降しなければいけないのではという極度に恐ろしい事態を想像し、人生でももっとも恐ろしい瞬間の一つを経験するはめになった。強引にロープを引いて回収する中で(プリーシステムを設定する方がよかったが、上向きに引っ張るアンカーを設定する場所がなかった)、ロープはいくつかの部分でハデに外皮を失くしてしまったが、それでもついに回収できたときは本当にほっとした。これで比較的普通の方法で下降がつづけられる。

20日、僕はノルエゴスとニポニノのあいだの不安定なボルダーまで下降し、ラグナ・トーレまで長い氷河を下った。ラグナ・トーレの南側のトレイルで観光客を見るまでは、完全にリラックスして自分の達成感を味わうことはできなかった。僕の人生において最大あるいはそのうちのひとつを達成したことを知り、いつも通りiPodの助けを借りてハイクアウトした。

チャルテン2015~2016年

マッシュルーム状の霧氷へ向かう前のトラバースの終了点でのビレイ。Photo: Colin Haley

チャルテン2015~2016年

トーレ・エガーをソロした同日、友人のコラ・ぺシェとトニー・アギーロがアグハ・デスモチャーダのゴールデン・イーグルを登っていた。嬉しい偶然だが、コーラは殊に優れたズーム力のあるコンパクトカメラを持っていて、トーレ・エガーの山頂にいる僕の姿をこのイカす写真に収めてくれた。Photo: Korra Pesce

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おぞましい懸垂。Photo: Colin Haley

1月26日、セロ・フエムルのエンド・オブ・フェイス

トーレ・エガーから戻って2日後、アレックス・オノルドが一緒に登ろうとチャルテンに到着し、その1日~2日後、僕らは彼のウォームアップに出かけた。セロ・フエムルの東稜はとても広大で顕著で、エル・チャルテンの町の至る所から見える。すでに数年目をつけてきた目標だったが、アンディと一緒に間近に見て以来、優先度が上がっていた。

僕らはこのルートをエンド・オブ・フェイスと名付けた。技術的クライミングは標高差にして1,000メートル、難易度は5.2X。多くの現代クライマーはだいたいにおいて質の低い岩を登る適度な難易度の巨大なルートは好まず、また得意としないようだ。僕は一貫してラゴ・ヴィエドマの壮大な景色を見下ろすとても素敵なルートだと思ったし、僕のような気難しい年寄りクライマーなら再登も楽しめるだろう。北サミットからリオ・トロへの1,350メートルの下降はアレックスとの会話により印象深いものとなり、その最も一貫したトピックは菜食主義と宗教だった。比較的肌寒い日で、リオ・トロをかなり容易に渡り、観光客のトレイルを町まで小走りした。

チャルテン2015~2016年

エンド・オブ・ファイスのガレ場を登るアレックス。Photo: Colin Haley

1月31日、トーレ・トラバースのワンデイ登攀

今年パタゴニアでチームを組む前、少なくとも9か月のあいだ、アレックスと僕は今シーズンあるひとつのたしかな目標を抱いていた。トーレ・トラバースのワンデイ登攀だ。この素晴らしい目標は前年にトライし、ほぼ成功しかけ(この第9章参照)、その後すぐに戻ってきてきちんと完成させたいと思った。アレックスはトーレ・トラバースをエルキャピタンのスピード登攀に例えていたが、僕もそれは良い比較だと思った。僕らはその地形を熟知しているだけでなく、同じスタイルで1年前にまったく同じ目標を試みていたので、技術的にも戦略的にも特定の課題にフォーカスした計画を練ることができたのだ。

前年はベルグラのおかげでディレクタ・デ・ラ・メンティーラはとても困難なコンディションだった。今回ベルグラは問題ではなかったが、非常に高い気温は別の問題を提供してくれていた。水、それも大量の……。クラックの多くから大量の水が染み出し、僕らはすぐにずぶ濡れになった。水は頭上のマッシュルーム状の霧氷から氷の塊を落としてもいた。スタンダルト、ヘロン、エガーを比較的冷静に素早く登ったが、トーレではおなじみの厳しい体験に出くわしていた。アレックスは期待通りの素晴らしいクライミングで素早くピッチをこなし、とてつもないランナウトでロープを伸ばした。リードクライミングと同じではないが、僕自身も彼のあとをうまく同時登攀で登っていった。比較的暖かかったにもかかわらず、濡れていた僕らはビレイでは凍るほどに寒い思いをした。

アレックスが暗闇で空中の振り子トラバースを含む、とくに強烈なユマーリングのピッチと格闘するあいだ、僕は上で冷たい風に苛まれていた。濡れた衣類のままの僕は寒さに震え、ついにはセルフビレイを解除して頂上のマッシュルーム霧氷の下で風を避けていた。バッテリーをセーブするためにヘッドランプを消し、星を見ながらある意味高揚し、ある意味極度に疲労し、一部は低体温症という状態でそこにただ佇んでいた。アレックスのヘッドランプの明かりが下の霧氷で上下するのが見えはじめると、アンカーにトラバースして戻り、ふたたびロープにタイインした。アレックスが到着すると僕らは頂上まで登り、ちょうど午前零時に到着。スタンダルトのコルを出てから20時間40分後だった。

トーレ・トラバースのワンデイ登攀はアルパインクライミングにおける美しい「レッドポイント」だと感じ、僕がこれまでに経験した最も素晴らしく過激なクライミングの1日だったと言える。成功はこれらの山々で僕らが蓄積した過去の経験に、また各人の技術に大きく依拠している。それは僕ら各々がこれまでクライミングに人生を捧げて来た成果だ。アレックスと僕はこのプロジェクトでは素晴らしいチームを成していた。アルパインとロッククライマーのとても効果的な共生だ。彼も僕も互いの存在なしにはトーレ・トラバースをワンデイで達成するチャンスは皆無だっただろう。

チャルテン2015~2016年

氷河のキャンプ地で天場を準備するコリン。Photo: Alex Honnold

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スタンダルトの南壁での同時懸垂。Photo: Colin Haley

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ディレクタ・デ・ラ・メンティーラの3ピッチ目のアレックス。Photo: Colin Haley

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トーレ・トラバースの第2登後、午前零時にセロ・トーレの山頂にて。Photo: Colin Haley

2月6日、ウェーブ・エフェクトのワンデイ登攀

パタゴニア遠征へ向けた準備期間中、アレックスと僕が話し合ったトーレ・トラバース以外の唯一の登攀目標はウェーブ・エフェクトだった。トーレ・トラバースほど有名ではないが、ウェーブ・エフェクトは複数のタワーをリンクする手強い登攀だ。ウィット・マグロ、ネート・オップとジョシュ・ワートンが2011年に開拓したもので、アグハ・デスモチャーダ、アグハ・デ・ラ・シラとチャルテンの南面を繋げる。

トーレ・トラバースはロッククライミングとクランポンでのクライミングの半々で、アレックスと僕はとても平等なパートナーシップを形成した。一方、ウェーブ・エフェクトは純粋なロッククライミングで、アレックスがおもにリードを受け持つことは明らかだった。アグハ・デスモチャーダとアグハ・デ・ラ・シラが最も困難な登攀で、アレックスが両方の全ピッチをリードすることになった。チャルテンはカリフォルニア・ルートを登る。これは難易度がずっと低く、このルートを熟知していた僕(わずか1か月ほど前にソロで登っていた)がリードすることになった。もちろん、いずれにしてもできるだけ多くを同時登攀する。

アグハ・デ・ラ・シラについては初登者たちが登ったバーティカル・カレントにするか、第2登されていないフーバー兄弟/ウォルダーが初登したコルから直上する南面中央をたどる誇り高きルート、イル・バスタルドにするかについて討議した。イル・バスタルドがバーティカル・カレントよりはるかに困難なのは明らかで、当然のごとく僕はバーティカル・カレントを押したが、リード担当のアレックスがイル・バスタルドを好んだので、イル・バスタルドを登ることになった。

僕が最初の核心と格闘するあいだ、アレックスは上のワイドクラックをさまよっていた。アレックスは僕よりも重いパックを背負いながら困難さがつづくセクションを大きくランナウトしながら登っていた。この部分をセカンドしながら、マイクロトラクションではなく本物のフォローであることをありがたく思った。僕は完璧にパンプし、何度か落ちそうになり、こんなに険しい登攀をこれほど重いパックで登る努力に喘いだ。

イル・バスタルドの2ピッチ目は幸いにも最初のピッチほどはむずかしくなかったが、アレックスは山頂まで登ることを決意しており、アレックス・フーバーのトポにある7ピッチを一気にリンクした。というわけでマイクロトラクションはこの登攀全体のわずか一部のみで使用した。登るにしたがって地形には雪と氷が増えていった。この登攀でのアレックスのリードはランアウトと重いパックを考慮すると僕が目撃したロッククライミングでは最高のもので、僕は山でのフォロークライミングでこの3ピッチ目ほど格闘したことはなかった。困難なロッククライミングでは普段誰よりも動じないアレックスですら、イル・バスタルドのピッチが恐るべきものだったことを認めた。

チャルテン2015~2016年

クイン・ブレットの撮影によるデスモチャーダの3ピッチ目に取り付くコリン。このロープのたるみは同時登攀では典型的だ。Photo: Quinn Brett

チャルテン2015~2016年

イル・バスタルドの最初の核心部のアレックス。Photo: Colin Haley

出発後の25時間17分後、ビバーク地に到達した僕らは食べ、飲み、意識を失った。チャルテンとポインセノットのガリーへの下降中に風は強まり、眠りからさめたときは突風になっていた。7日で7本の主要なタワーを登っていた僕らは疲れ果てていた。僕の手の皮はこれまでに経験したことがないほど痛み、長い4級のバットレスの下降は殊に突風のせいでとても面倒に感じられた。アレックスは親切にも僕の荷を軽くしてくれた。ニポニノに降りると、スナックを食べ、ギアを整理してデポする間もなく雨が降り出した。ハイクアウトはずっと風と雨のなか。真に素晴らしいクライミングの1週間は幕を閉じようとしていた。

これらの登攀のより詳細なレポートはcolinhaley.com(英語)にてお読みいただけます。ぜひご覧ください。

チャルテン2015~2016年

アンバサダー、仲間たち、そして一般の皆さんからシーズンを通して投稿された写真はパタゴニア・ウェブサイトの#VidaPatagoniaのギャラリーをご覧ください。Photo: Mikey Schaefer

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