渇望
僕の拳に止まっている鳥は、機を見る目をもっている。
この鳥が存在するのは僕の辛抱強い自制心と、何年もかけて改善に改善を重ねた修行のせいだと思いたいが、実際、鳥はそんなことは少しも気にかけていない。彼らの脳みそにあるのは、チャンスを逃さないことと、周囲の環境を利用するために目や羽根、あるいは体形といった、自分の体の構造のすべてを統合させる回路だけ。鳥は有益な状況をひたすら待ち、そしてそれに全力をかける。
僕はこの鳥にとっての有益な状況ということになる。我々はチームだ。僕は約束する。これまで一緒に訓練したとおりに飛べば、獲物が得られることを。僕が言うとおりの高い高度で飛べば、獲物を出すし、そうでなければ、呼び戻す。
僕は鳥が野生の本能を保てるよう心掛ける。獲物を狩ったら、それにありつける。失敗しても、上手く飛び、自主的に急降下して、戻ってきたら、グローブのうえで餌を食べさせる。
それが我々の関係だ。
鳥は1羽1羽違っても、訓練は同じ。マニング(人間になつかせる)、フーディング(目隠しをする)、拳のうえで餌を食べる、ルアートレーニング(疑似餌を使ったトレーニング)など。どれも忍耐を要するアプローチだ。何年もかけて、僕はシエラネバダの東側で狩りをし、ネブラスカで草原ライチョウのうえを飛び、他の鷹匠から学べる場所へならどこへでも旅をするといった生活をしてきた。これはスポーツではなく、アートでもない。これは修行であり、課題である。すべてを知りつくした鷹匠など、僕は知らない。