チャイナ・ジャム:キジル・アスケルのサウスピラーをフリー登攀
2013年10月:やった! ついに僕ら(エブラール、ショーン、ステファン、僕)は中国の山から文明に戻ってきた。神様、ありがとう。食事はとてもおいしいし、熱いシャワーをいつでも浴びることができる。便りが少なくてごめん。チームの緊張をほぐすためのテレフォンセックスに衛星電話の残高をつぎ込んでしまった。僕らの登攀の成功には必須だったんだ。
最初の週は周囲のすべての渓谷を探り、クライミングするのに面白そうな目標を探すのに費やした。もちろん登攀も試みたが、毎日美しい天気は午後には吹雪に変わった。僕らは特に低い気温と新雪のせいで、南壁のロッククライミングしか検討の余地がないことに気づいた。太陽が少しでも暖めてくれることを期待した。この条件は選択肢を狭めたものの、ついに僕らは探していたものを見つけた。僕らはしばらくそのビッグウォールで忙しくなった。僕らを惹きつけたのはキジル・アスケル(5,842メートル)の1,400メートルのサウスピラーだった。高く長くて険しい壁で、素晴らしいクオリティのその岩の上部には多くの白い「モノ」がついていた。これまでに登ったすべてのビッグウォールとはかなり違った経験を提供してくれるかもしれないとワクワクした。
長い氷河の先にある壁の基部にギアと食糧、楽器を運ぶのに一週間を費やした。最後の2日間は完璧な天候に恵まれ、僕らは荷物を持ってクライミングを開始し、壁の最初の400メートルをフィックスした。僕らはすぐに岩のクオリティだけでなく、登攀をユニークなものにしたフエコの形をしたクレイジーなホールドに感動した。
ついに9月10日、15日間の垂直生活の必需品を携えて登攀開始。初日はフィックスしていた最初の400メートルの荷揚げに費やした。僕らの荷は重く、高度で心拍数は上がり、荷揚げは思った以上に大変だった。午前2:30にやっとポータレッジでリラックスしてちょっと変わった中華風味のフリーズドライの食事にありついた。
次の2日間は好天が続き、これまでで最高だった。でも僕は風邪をひき、ショーンとステファンとエブラールが前進しつづけるなか、ポータレッジでじっとしているしかなかった。体調が悪いときにポータレッジですごす気分は健康時にくらべてどれほど違うのかじつに驚くべきものがある。まるで地獄だ。フライの中ではすべてがつねに凍てつき、動き回る。雪を溶かすことですら莫大な量のエネルギーを要した。熱が上がり、留まるべきか下山すべきか決断する必要に迫られたとき僕はついに抗生剤を飲むことに決めた。24時間後、体調が向上し、また登れるようになったのはうれしかった。
僕らは登攀の核心にさしかかっていた。壁の素晴らしいセクションだ。オレンジの花崗岩は垂直からややハング気味で、完璧なスプリッター・クラックが走っている。ショーンは困難なロッククライミングができることにとても興奮し、最も顕著なラインである壁の弱点を避け、完璧なスプリッターを選ぶ。それは素晴らしく困難で長いシンクラックで、ショーンは自身のビッグウォール・プロジェクトに決めた。一方、エブラールとステファンと僕はその先を下見することにした。またもや完璧で困難なスプリッターの後に、巨大なフエコとクレイジーな形のホールドを使う3次元のピッチが続いていた。
翌日、悪天候に見舞われ、嵐が通り過ぎるのを楽器を演奏して待つしかなかった。楽器をうまく弾くには指が冷たすぎたが、4人でポータレッジに座り、早いテンポで演奏していると冷凍庫がみるみるサウナに変わった。バンドの新メンバーであるエブラールが慣れるのに時間を要したが、そのうち彼は木琴のグルービーなタッチを加えた。
次の日も天気は向上しなかったが、前日の休憩でリフレッシュした僕らは気合いを入れ、悪天候に立ち向かうことに決めた。僕らはキャンプを上げれば時間が節約できると思ったが、荷揚げをはじめたとたん、大雪のホワイトアウトのコンディションに見舞われた。それは魔法の世界の雰囲気。すべてが20センチの新雪に覆われていたが、僕らは集中力を維持しなければならなかった。こんなコンディションではちょっとしたミスも致命的になりかねない。この日、ステファンがおそらく僕の風邪をもらって体調を崩した。その日の終わりにやっとのことで岩角の両側にポータレッジを設営すると、ステファンの手と足は冷たくなっていた。幸いなことに温かいスープで体温が戻った。
翌日、ショーンは彼のプロジェクトに3度トライし、レッドポイント寸前だったが、壁で9日過ごしたあともまだ山の半分も登っていなかったので、ついに断念を決める。彼はより簡単なフリーのバリエーションをさっさとやっつけたので、この山全部をフリーで登るトライを続けることにした。そのあいだステファンと僕は残りのロープを最後のヘッドウォールの下まで固定し、吹雪の中、その日は終了。登攀コンディションは氷化し、どこを見てもつららが下がっていた。
だんだん頂上が近くに感じられ、僕らはスタティックロープを切って頂上まで登りたい思いに駆られた。だが悪天候によって足止めを食らい、僕らは再びキャンプを5,200メートル地点に上げた。あとからそれでよかったと思った。頂上は思ったよりもずっと先だったのだ。今回は、キャンプを動かすことは大事ではなかった。その日は余裕でキャンプを設営し、多くの未踏峰のすばらしい眺めを楽しんだ。同じ場所で何日かを過ごしたあとは、キャンプを変えてマンネリから脱するのはいいものだ
次の朝、ショーンがインフルエンザになってポータレッジに残り、ステファンとエブラールと僕はロープ全部を固定しながら最後のヘッドウォールを下見した。僕はステファンとリードを交代するつもりだったが、基部につくと彼はクライミングシューズを忘れてきたことに気づいた。がっかりしたが、僕は彼の誤りに失望しなかった。天気は完璧でクライミングは素晴らしかったからだ。ピラーのど真ん中を走る完璧なクオリティのスプリッターを3ピッチ登ったあと、固定ロープが尽きた。雰囲気は素晴らしく、そこら中につららが下がり、回りの景色は圧倒的だった。ポータレッジに戻ると、ショーンの調子がよくなっていることに安堵し、翌日頂上アタックをすることにし、8時の日の出に合わせて固定ロープの上までたどり着くよう、5時起きを決めた。
ステファンは現在、ブリュッセルの病院に入院して専門医の治療を受けている。すべてうまく行けば足は数か月で完治し、次の冒険のための準備万端となるはず。
僕らの夢の実現を手助けしてくれた以下の皆に感謝します:Patagonia、Julbo、Five Ten、Black Diamond、The Belgian Alpine Club, Seeonee、Sterling Rope、Nikon、Belclimb.be、Petzl、Careplus、Boreal、Crux、Threshold Provision Salmon Jerky。
そして人の良い通訳のアリと親切な連絡係のユー、フレンドリーで有能なラクダのドライバーと〈Guide to Adventures & Expeditions (GAE)〉のグオにも感謝。
登攀詳細:キジル・アスケルのサウスピラー。中国の西、Kokshal Tau山脈。1,400メートル、31ピッチ、7b、M7。完全フリーでボルト/ピトン未使用。上部の約10ピッチはロシア・ルートと合流。
ブリュッセル育ちのニコラ・ファブレスはウィンドサーフィン、マウンテンバイク、スキーを通してアウトドアに慣れ親しんできたが、15歳のときにクライミングに出会いすぐに夢中になった。18歳のとき、アメリカで交換留学生としてヨセミテを訪れ、ビッグウォールに新しい使命を見いだす。それ以来、パタゴニア、パキスタン、グリーンランド、ベネズエラ、カナダでビッグウォールを登ってきた。
エブラール・ヴェンデルボームは過去10年間、写真の仕事を通じて地球上の最もアクセスし難い場所に旅してきた。ベネズエラのエンジェル・フォールの登攀を撮影した彼の初の映画『Amazon Vertigo』は映画フェスティバルで11の賞を獲得。エブラールはまた環境同盟〈Naturevolution〉を先導し、彼の技術を生物学的多様性の保存に活かしている。
チャイナ・ジャムの長編映画制作のための作業がはじまりました。この映画をサポートし、パタゴニアのアセンジョニスト・パックなどの賞品を手に入れましょう。本プロジェクトについての詳細や制作支援金を提供するにはIndiegogoをご覧ください。