ナムナニ峰、未踏の南面を冒険 – 南から北へ、この山塊を縦走したくて
『冒険』という言葉を手元の辞書で引いてみると、「危険を冒すこと」、「成功のたしかでないことをあえてすること」とある。子供のころから冒険家に憧れていた谷口けいは、「いつか自分も未知の領域を冒険したい」という強い思いを胸に、はじめて出かけたアラスカの山の頂上から見える果てしなく広がる世界に、自分の冒険の旅がはじまったことを悟る。以来、数々の高峰を登攀し、2009年春には前年のカメット(インド/ガルワールヒマラヤ)初登の功績が称えられ、第17回ピオレドールを受賞。そして昨秋、西チベット最高峰のナムナニ峰の南面からの初登を果たす。登ることはもちろん、それまでの準備にも苦労の連続だった今回の登頂を、本人からのレポートでぜひ追体験してください。
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7,694メートルの頂に突き上げる2,000メートルの南東壁を目指したのは、幾歳月だっただろうか。私の膝のケガのせいで、この遠征自体が延期にもなった。チベットに来るまでも長かったが、来てからもCTMA(チベット登山協会)と何度も話し合って交渉を重ねた。一年も前から、私たちの予定する登攀ルートと行程表をメールでやりとりしていたのに、やっぱり何もわかってはいなかったのだ。送られてきた登山許可証には『ノーマルルート(北西面)』 、標高は『7,094メートル』と間違って記載されている。確認すると返事は「ノープロブレム」 私たちの目指すのはナムナニ峰南面のロンゴー谷である。この谷の情報がほしいと言えば、ノーアンサー。
現地ではじめて顔を合わせたリエゾン・オフィサー(以下、LO)のタシは、何度もナムナニ遠征隊に同行したことがあると言うので少し安心する。それでも油断は禁物。「念のため確認するけど、私たちが行きたいのはノーマルルートではなくて、山の裏側。南面に入るロンゴー谷をつめて、南側の壁を登りたいってこと知っているよね?」と尋ねてみる。「何だって?」って、やっぱりLOには情報は何も伝わっていない。チベットに遠征するにはここから冒険と闘いがはじまる覚悟が必要だってことは、前回学んだことだ。
LOのタシは、広大なチベット高原でさっそく羊飼いのおじさんをつかまえて、「ロンゴー谷って知っているか?それはどこだ?」と聞いている。近くの集落では、ベースキャンプへの荷役馬の手配をするべく畦道を歩いて声をかけるが、いまは収穫の時期で忙しいのだとなかなか話を聞いてもらえない。だいたい彼らにとっては、「登山って何だ?」っていう世界に違いないのだ。
それでも凄腕LOのタシは、数日後には馬と馬方を手配し、私たちはついに謎のロンゴー谷への入口に立った。谷の入口は狭く、急峻な岩壁にはばまれている。ゴルジュの門といったところか。ゴルジュ内を遡行するなんて無理、この谷には結局入れないのか――と思ったら崖のはるか上部に踏み跡があった。あとになって、夏のあいだはこの谷の上流にヤクを放牧しているのだということがわかった。無事に未知のロンゴー谷へ入谷して第一関門を通過。しかし、ガレた崖の斜面の行程で馬の脚に傷が付いてしまったことと、果てしなくつづくこの谷の奥に快適なベースキャンプ(BC)を求められるか確信がなかったため、地図上で予定していたBC(南東壁下の氷河舌端)まで6時間ほどの行程を残したところで、荷を下ろしてBCとする。豊かなせせらぎが流れ、マーモットとカモシカの遊ぶ4,800メートルの台地だ。
ここから先は間違いなく人跡未踏。岩ゴロのモレーンを丸一日歩いて南東壁が見えるところまでたどり着いた。これまで南東壁の情報といえば、大西保さんにいただいた遠方から撮影した写真だけで、実際にこの目で見るまで本当に登れる代物なのかどうかはわからなかった。目の前に現れた壁は、長かった氷河のどん突きから両手を広げて立ち上がっていた。頭は雲のなかでよく見えないが、やはり懸念していたセラック帯が上部にある。夜中と朝方にそれが大きく崩壊して雪崩れた。セラック帯の中に突き上げる明瞭なリッジに、一本だけラインが見えた。登るなら、あそこしかない。
7,000メートル近くまでの順応を兼ねて、南西稜に突き上げるいくつもの氷河のなかのひとつを登ってみると、想像以上に複雑なこの山の地形を知らされる。巨大なセラック帯に阻まれたり、まわりからの落石がひっきりなしだったり、クレバスがパクパクと口をあけていたり・・・。こんなふうにナムナニの南面をあちこち踏査しながら、この山に精神的にも近付いていく。
10月1日。最初の偵察から2週間後、意気揚々と南東壁の裾に立った。見上げる壁は好天つづきで偵察のときより黒くなっている。登りはじめてすぐにドーンッと頭上で轟いた。セラックの崩壊だ!アックスにしがみついて、壁にぴたりと身を寄せる。チリ雪崩は被ったものの直撃ではなく、登りつづける。偵察時に予定していたラインは落石の雨だったので、紆余曲折しながら安全だと思われる場所を登っていく。しかしふと見上げると、やっぱりそこには懸垂氷河が得意げな顔をして私たちを見降ろしていた。そんなあいつに向かって登りつづけていいものか。自然の脅威が相手では逃げて生き延びるのが、自然を相手に遊び闘う者の掟だ。そうはいってもこんなに恋焦がれてやってきた相手をそう簡単には諦められず、いますぐ下りるべきだと言うパートナーに、一晩だけ納得する時間をくれと頼んで壁のなかでビバークし、自分を納得させた。
10月5日。あらためてBCを出発。南面のどの氷河も未踏。そのうちのひとつから南東稜と南西稜が合流するところへと向かう。幾つもの小ピークが連なり、未踏のナムナニ南峰へ。そして雪壁をつなぎ主峰へ。気温があまりにも低くて雪が固まらず、プロテクションも取りづらければ、ラッセルも辛く苦しい。しかし景色だけはつねに最高だった。チベット、西ネパールからインド・ヒマラヤまですべて見える。2008年に2人で登ったインドのカメット峰南東壁がラインまではっきりと見えた。
10月9日。南面から頂上を越えた瞬間に、聖山カイラスとマナサロワール湖が目の前にあった。それはわかっていたことだったが、これまでの道のりとこの威風堂々たる山々の姿にちっぽけな自分は感動して、360°の景色をほしいままにした。
次なる問題は下降。CTMAの決まりは登攀した場所を下降すること。私たちは当初の目的である縦走を完遂するべく、「登攀した場所は危険すぎるため」、ノーマルルートである北西面を「安全策」として下降。無事ナムナニ南面から北面への縦走が完了したのだった。
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パタゴニア 横浜・関内では谷口けい氏を招いてスピーカーシリーズを開催します。ぜひお越しいただき、次の冒険への計画に役立ててください(3月に大阪ストアでも開催予定です。詳しくはパタゴニア 大阪までお問い合わせください)。
冒険とは何か
~冒険にルールはない。それぞれの冒険があっていい~
スピーカー: 谷口 けい (山登る旅人)
1月27日(金) 横浜ストア (要予約:定員50名)
子供の頃から冒険家に憧れていた。本の中で、世界中を冒険した。いつか自分も未知の領域を冒険したい ― そうやって初めて出かけたアラスカの山。その山の頂上からもっと広い世界が見えて、自分の冒険の旅は始まったかもしれない。でもふと気付けばすぐ近くにも冒険はあったりして。ルールはない。でも自分で決めたことを達成する。それって楽しい人生だ。
プロフィール
子供の頃から皆と同じことをやらされるのが嫌で、本の中でいつも未知の世界への冒険を夢見ていた。本の中の世界だと思っていた槍ヶ岳に登ったことから山の魅力のとりことなり、冒険の世界が広がった。難しいことというよりも誰もやったことのないことに惹かれる。
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