立ち上がる日本
2011年3月11日。最も忘れがたい誕生日となった。地震と津波が幾千もの命を奪い、数百万もの人びとが家を失い、いくつもの村が壊滅状態となった日。僕は地球の反対側で被災者の状況を悲しみ、東京にいる親戚に連絡を取った。アメリカ全土で行われた募金のための手作りお菓子のバザーにボランティアとして参加し、自転車レースで獲得した年間の賞金を被災地支援のために寄付した。僕は日本人の気質を象徴する回復力で、日本がこの災難からさらに強い国へと立ち直るであろうと信じることに慰めを見いだそうとしていた。
そして今年は日本には行かないと決めていた僕に、抗いがたいチャンスがめぐって来た。国際コーヒー競技会である「ワールドサイフォニストチャンピオンシップ」が9月に開催されることになったのだ。サイフォンは日本で人気のコーヒー抽出方法で、コーヒーの最高の入れ方だと言ってもいいだろう。コーヒーオタクの僕は世界中のバリスタと競うというアイデアにワクワクした。お客さんにコーヒーを出したことこそないが、アメリカ中で何十時間ものコーヒー抽出クラスを取っていた。米国代表として参加させてもらえるよう〈米国スペシャルティコーヒー協会〉を説得し、許可を得た僕は旅路に着いた。
日本へ着いてみると、東京は相変わらず賑わっていた。一見したところ、まるで何もなかったかのような様子だ。電車は缶詰のイワシのように人であふれ、レストランやお店は客で混雑し、人気のお店では30分以上の行列ができていた。
けれども以前とは違う様子も見受けられた。省エネに対する意識が高い日本であったが、いまではその努力がいっそう進んでいる。たとえば東京の空港の照明は新聞が読めるかどうかの薄暗さで、夜でも病院の手術室並みの眩しさを誇っていた銀座通りは明らかに暗かった。いくつかの下りエスカレーターは停止していたし、切符の自動販売機は半分くらいしか稼働していなかった。電車で移動していると、車内や掲示板のあちこちで「がんばろう、日本!」という広告を目にした。私たちならこの困難を乗り切れると…。
そして最近日本を訪れた人たちに聞けば、こう答えが返ってくるだろう。「日本は力強く成長している、まるで何も起こらなかったかのように」と。
日本での滞在中、いつもの楽しみでもあるパタゴニア日本支社のオフィスを訪れた。個人的に、あるいは仕事でパタゴニアとつながりのある友だちとも会った。
僕の競争相手はオーストラリア、台湾、韓国、中国などから訪れたプロのバリスタたち。完全にのめり込むためにコーヒーの香りを嗅ぐ必要すらなかった。そしてカウンター・カルチャー・コーヒーとインテリジェンチア(とくにチャールス・バビンスキー氏)の協力のおかげで、僕は3位を獲得した。
最近ベンチュラ本社で行われたセールス・ミーティングに日本支社から参加した同僚が、僕が日本を訪れたことを喜んでくれた。アメリカから同僚が様子を見に遊びにきてくれたことで勇気づけられたそうだ。
皆が日本を訪れるべきなのだ。
—————————–
パタゴニアとフレッチャー・シュイナード・デザインズは2枚のTシャツを提供して、日本の友人たちへの支援を継続しています。FCDはキム・ディグスがデザインしたTシャツの売上100%を、津波を受けた仙台新港の清掃作業に役立ててもらうため〈仙台サーフユニオン〉へ、
パタゴニアはリブ・シンプリー・ジャパン・リリーフ・Tシャツの売上100%を、被災地に自然エネルギーを活用した電気、お湯、お風呂を届ける〈つながり・ぬくもりプロジェクト〉に寄付します。